第3号 97年夏号


注)このページは1997年春に作成、会員に郵送された会報をホームページ用に編集し掲載したものである。

『ひとりモクモクと−それが私のスキー』

                 東京支部 藤原 真理

 趣味は何かというと、ボンヤリすることと昼寝。それも太陽が照って、緑があり、爽やかな空気がある、そんな場所であれば申し分ないが、自分の部屋でも大満足だ。
先ず掃除機をかける。置いてある物をそれなりに片づけてすっきりとさせ、居心地をよくしてから、とことんボーッとする。
手が届く範囲に読みたい本や雑誌、時にはコミックを揃えて、眠くなればそのまま昼寝となる。

 思い通りに体が動かないほど疲れているときはともかく、たいていは手ばしこく用をする。私にしてみれば、さっさと片づけて早くノンビリしたいがためなのだが、誤解を招くことがままある。二十四時間常に元気印でブーンと音を立てて行動している人、そういう印象を周りに与えてしまうことがあるらしい。

 ごく親しい人たちは私の両面を知っているので別にどうということもないが、初めての方や、たまにしかお目にかからない方々は少なからず驚かれるようだ。口には出さずに胸のうちにしまっておいて下さる方が大半だけれど、お顔を見るとそう書いてある。「とても一緒にいられる人ではない」と。

 ボンヤリの好きな私だけど、雪のある季節は仕事が一段落するやいなやスキーに出かけるのが常である。一段落とまでいかないときでも、リズムを作ったほうが勉強もはかどるので(と自分で思っているだけだが)計画をたてる。たいていはすぐ行かないと次の演奏会の準備が迫ってきて気になり、スキーどころではなくなるので、一泊二日の行程が普通だ。

 旅行業務に携わっている友人に電話をすると「いつも忙しいですね」といいつつも快く手配してくれる。

 朝一番か朝二番目の便で札幌に飛び、空港から直接スキーバスでテイネオリンピア・スキー場に向かう。道中しっかり腹ごしらえはしておいてすぐに着替え、早く着いた時は十時半から、遅い時でも十二時半から滑ることができる。四時頃遅いおやつを食べて小休止。天気がよければそのままナイタースキーで、五時から再び滑り、夜七時頃にもココアを飲んで暖をとり、ニガ手な方の足首が効いている限り滑る。

 最近はいたれり尽くせりのスキーバスがあるので、夜八時四十分の便で市内のホテルに向かい、ラストオーダー滑り込みセーフのタイミングで食事が可能だ。そのあとはさすがに顔を洗うのもそこそこに寝る。
仕事の予定がつまっているときは翌日の朝の便で戻り、昼には東京着。先に昼寝をしてから、予定の分の勉強に取りかかるのだ。

 これでは周りに呆れられるのが当然だろうか。

 そもそも運動はニガ手のほうである。できることといえば、あまり前に進まない水泳ぐらいで、これもすぐに疲れて、仰向きになってプカプカ浮いているのが得意技だ。

 スキーは三十になる直前にピアニストの友人から誘われて試したのが最初で、そのままのめりこんでしまった。

 スキー用具を身につけて、歩き方、ころび方を教えてもらい、すぐにロープーウェイで手稲山の山頂に連れていかれた。山道コースは直線が長いので、足をV字形に保っていることができさえすれば滑っていく。止まるには自分からお尻をついて転ぶのが一番安全と教えられて、そのとおりにするのだった。

 何回転んで山を降りてきたことだろうか。吹雪きでもないのに、私ひとりが帽子から何から雪まみれ、雪だるまのようだったが、翌日不思議なことにほとんど筋肉痛が起こらなかった。同行の友人たちが足が痛いだの疲れただのといってるのに、私は何でもない。

 私でも滑れるようになるかも知れない。それより何より、白い雪を相手にモクモクと身体を動かしていることがとても快かったのだ。

(編集者注:藤原さんはチェロ奏者。テレビなどでご覧になった方も多いと思う。藤原さんのスキーへののめり込み方には、ご本人が思っている以上に周囲は呆れている。
特に編集者が一時帰国の折り、札幌・東京間の電話で「じゃあ明日、日帰りで滑りに行きますからスキー場で会いましょう。」の言葉どおり、翌日朝一番のフライトで札幌入りし、終日滑りまくってその日最後のフライトで東京へ戻ったバイタリティーは忘れられない。スキー馬鹿が集まった我らがスキークラブの重鎮?である。)


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